アイドルと「卒業」について -Aqours 5th LIVE 感想

 

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消えてゆく虹に約束しよう

忘れないよいつまでも

(Saint Aqours Snow「Over The Next Rainbow」より)

 

この日、満員のメットライフドームには虹がかかった。

 

L.Aでの公演から始まりソウルでも実現された「Aqours rainbow」の企画。日本でもこれまでライブのたびに様々な企画がファンの間で画策されたが、箱の大きさなどの理由からどれも実現は叶わなかった。今回の企画も、直前までその一途を辿っていた。「アンコールに合わせてスタンドに虹をかけませんか?」有志によってライブ当日に配られたフライヤーにはそう書かれていたというが、半数以上の人は見向きもせず、その存在すら知らない人がほとんどだった。

twitter.com

https://twitter.com/Aqours5thLovet1/status/1135761810131316736

それ故に、初期微動は従容とした些些たるものだった。しかし、本当に実現しようと信じて動いた人たちによって、会場には一つ、また一つと同じ色が固まった地点が生まれ、気付けば誰の目にも顕著なほどに光は意志を示した。企画を知らなかったスタンドの人たちも、綺麗に色が分かれた反対側のスタンドを見て、思わず自分の席の周りを見渡し、手元のペンライトを操作して色を変えた。

周りをよく見てそれに合わせる。その行為だけを切り取るならば、それは日本人ならではの協調性と配慮が呼び起こすバンドワゴン効果にも似た単なる同調現象かもしれない。しかし、そこにあったのはおそらくそんなチープで凡庸なものではない。目の前で繰り広げられる、圧倒的な耽美を呼び起こす情景にただ心奪われ、陶酔する人々の脈打つ抒情そのものであり、想いがひとつになることへの賛美と得も言えぬ高揚感の表れだ。それが着実に会場全体に広がり、アンコールが明ける頃には、スタンドは綺麗に8色に分かれた。

だが、Aqoursのメンバーは9人だ。どうやら最上段のみかん色が予定よりずっと少なく、僅少な光になってしまったようだった。それを察したアリーナの一部のファンが、すかさずペンライトの色を変える。平面上の客席では、それに気づくことは決して容易ではない。しかし、気づいた人が一人、また一人と色を変え、隣の人に、前の人に伝えていく。その想いがつながり、ラスト一曲を迎える直前で、3万人を超える人々が詰めかけた会場は完璧なまでに9色の虹に染まったのだ。

そのような経緯からも、人々が虹の一部と化したことへの底知れぬ達成感と矜持を皆一様に抱いたことは想像に難くない。公演終了後、規制退場により先に会場を後にするスタンドの観客と席に残ったアリーナの観客が、互いを讃え合うように感謝を告げながら名前も知らぬ人たちに向かって手を振り合う、そんな場面もあった。この圧倒的なホスピタリティと一体感こそが、ラブライブがずっと掲げていた「みんなで叶える物語」というコンセプトの意味するところだったのかもしれない。だが、この虹が、そしてこのライブがもっと大きな意味を持つものとなったことは、1日目の時点では我々は知る由もなかった。

 

 

限られた時間の中で -スクールアイドルの輝き

 ラブライブシリーズにおけるスクールアイドルとは、数ある高校の部活動のうちの一つとして数えられる。作中において、ラブライブの全国大会はμ’sが初優勝を果たしその名を轟かせた第二回大会を皮切りに、例えるならば高校野球に匹敵するほどの人気を誇る注目の的となっている。

 では、ラブライブという物語の舞台が学校の部活動という場所に置かれる必然性はどのようにしてあるのだろうか。

それは、スクールアイドルという存在が、部活動によって繰り広げられる青春そのものが、時間という最も有限性を擁するものによる制約を負っていることに起因する。一般的に高校生でいられる期間というのは、僅か3年間だ。人生という大きな観点から見ると、実に短い。部活動なら尚更だ。この短い期間の中で学生たちは精進し、成し遂げなければならない。高校生という期間は一度過ぎ去ってしまえばもう二度とは戻らない。後悔したくなければ、必死に足掻いて努力するしかないのだ。

 それはスクールアイドルにおいても当然同じことだ。彼女たちに求められるものは、歌とダンスの技量、人々を魅了するパフォーマンス、それら全てを内包した上で観測される「輝き」だ。「輝く」ということは決して簡単なことではないが、μ’sについて高海千歌が「どこにでもいる普通の女の子なのにキラキラしてた」と評したように、必ずしも才能や器量が必要というわけではない。しかし輝くためには、仲間やライバルと切磋琢磨しながら結果を追い求めて直向きに足掻く必要がある。そして仲間と共に高みへと上り詰めたとしても、その先に待っているのは「卒業」というデッドラインだ。

 かつてスクールアイドルの頂点に立ったμ’sは、三年生の卒業と共に迎えた人気絶頂の渦中で、プロになって卒業後も続けるという道を蹴ってまで「μ’sを終わらせる」という選択をした。

その理由について絢瀬絵里

「限られた時間の中で、精一杯輝こうとするスクールアイドルが好き」

と述べているように、限られた時間の中で生きるスクールアイドルに確固たる拘りを見せている。

 

物語の中でμ’sがそう選択した以上、現実世界での声優ユニットとしてのμ’sも同じくファイナルライブを迎え、物語の幕を閉じることは当然と言えば当然だった。なぜなら、ラブライブシリーズのライブ活動における最大の特徴はシンクロパフォーマンスであるからだ。作中のキャラクターと同じ衣装、同じ振り付け、同じフォーメーションで踊り歌い、時には物語の文脈に沿ってライブ・パフォーマンスを行う。それは全て作中で動く9人の存在あってのものということになる。だからこそ、劇場版を終えてμ’sは勇退の道を選んだ。

 

 では、Aqoursの場合はどうだろうか。μ’sと同じく、アニメ二期の最終話でAqoursの3年生3人は卒業を迎えた。μ’sの劇場版からファイナルライブまで一連の流れを委細承知しているファンは、その時点でAqoursが一つの終わりへと着々と歩を進めていることへの察しを付けていた。しかしAqoursは良い意味でその予想を裏切ることとなる。アニメ終了後も声優ユニットAqoursは精力的に活動を続け、アニメ二期をなぞった演出を施した3rdライブから僅か4か月で東京ドームでの凱旋公演、全国各地を周るファンミーティングツアー、シリーズ初となるフィルムコンサート形式のアジアツアー、そして2020年にはライブツアーの開催が発表されるなどその勢いはまるで留まることを知らなかった。

 

圧巻だったのは4thライブだ。想いよひとつになれで、別会場にいるはずの梨子が同じステージで踊るというアニメには無いシーンを再現することで、これまで大切に守ってきたシンクロをあえて崩すというかつてない演出方法に挑戦。それはアニメとのシンクロを第一にやってきたラブライブにおいて、異例の試みだった。そして同時に、そのスタイルを破ることは軸にしていた物語=境界線を越えて新たな道を切り拓くことを意味する。劇場版を終えた今、画面の中で動くAqoursの物語には一つの区切りがついた。それでも今後現実世界のAqoursが活動を続けるのならば、その境界線をどうしても越える必要がある。4thでの「想いよひとつになれ」は、正にその新たな可能性を探るための序幕であり、存続を願うファンにとって願ってもみない瑞兆だった。

 

そして迎えた今回の5thライブ。

 

劇場版で登場した曲を基盤としたセットリストと演出。その一方で、アニメの劇中歌はほぼ全く披露されず、「スリリング・ワンウェイ」や「Daydream Warrior」などのアニメに登場しない人気曲の披露によって会場のボルテージを最高潮まで引き上げたことは、アーティスト・Aqoursとしての今後の躍動を予感させた。

挑戦的なセットリスト、観る者を沸かせる革新的な演出、拘り抜かれた衣装、洗練されたパフォーマンス、怒号のように響き渡る歓声、その全てが「最高」と呼ぶのに相応しい圧巻のステージであったことは言うまでもない。

 

特に私が心臓がはち切れるほどの感慨に打たれたのは、やはりラストの「Next SPARKLING!!」だ。

初めに断っておきたいのは、Aqoursのライブに定型の流れが存在するということだ。アンコール後は2曲ほど披露して、次のライブの告知を含めたお知らせを大画面に映して発表する時間があって、そのままの流れで1人ずつ感想であったりを述べて、最後に一曲歌い終えると、会場の端から端まで「ありがとう」の挨拶をして捌けていく。これまでのライブは全てその流れに沿って行われてきた。

しかし今回は何から何まで違った。

まずは一人一人のMCの時間。これがアンコール前に設置され、アンコール後はキャストが話す時間が一切無かった。虹に包まれたステージに登場したAZALEA、Guilty Kiss、CYaRon!の3ユニットがそれぞれの卒業ソングを披露し、モニターに劇場版のクライマックスである浦の星を訪れるシーンが映し出され、新生Aqoursの商店街での初ライブへと繋がる。心音すら聞こえるほどの静寂を迎える中、6人での円陣の掛け声と共に曲が始まり、ステージの幕が上がる。

そこに居たのは、黄色を基調とした片翼の衣装を纏い次なる旅立ちへの決意を新たにする、劇場版のAqoursのそのものだった。

「アニメとのシンクロを一番大事にしています」

彼女たちは過去にインタビューでそう話した。ステージに立てば、見た目だけでなく心すら一つになると語っていた。

 

会いたくなったら 

目を閉じて みんなを呼んでみて

そしたら聞こえるよ この歌が

ほら次はどこ? 一緒に行こう

 

切なさをギュッと噛み締めるような恍惚とした表情、繊細で儚くもしっかりと丹心が込められた力強い歌声、華やかな虹を背に眩しい太陽に手を伸ばすその姿は、3年生がいなくなっても「ずっとここにいる」ことに気付き新たな一歩を踏み出す劇中での6人を想起させる。

 

そして2番。ここからは居ないはずの3年生と一緒に歌う、どこか夢の中にいるような心象風景を表象したシーンだ。

 

ライブでは、センターステージから3年生が登場。

 

ひとりひとりは違っていても同じだったよ

いまこの時を大切に刻んだのは

ぜったい消えないステキな物語

みんなとだからできたことだね

すごいね、ありがとう!

 

ここまで歩んできた道のり、それは一番叶えたかった願いを叶えられず、何度も傷つきながらそれでも立ち上がり、走り続けてきた道のり。それら全てを肯定するための“今”。彼女たちの歌は、限られた時間の中で駆け抜けた日々の全てに輝きを見つけ出し、優しさに溢れたメロディーに乗せてまだ見ぬ明日を照らし出す。

 

いまだって未熟だけど

先へ進まなくちゃ それしかないんだよね

未来へ‼

 

この曲の持つ切なさを、感傷と呼ぶにはあまりに陳腐で軽薄だろう。どこまでも抒情的な美しさを奏でる旋律と、自然と涙を誘うような懐かしさと共に未来へと思いを馳せる恍惚感。Aqours史上最も長い6分29秒の演奏は、この時間をいつまでも続けようという願いすら感じ取れるほどエモーショナルに響き渡る。

 

忘れない 忘れない 夢があれば

君も僕らもなれるんだ なりたい自分に

忘れない 忘れない 夢見ること 

明日は今日より夢に近いはずだよ

 

とうとうラスサビを歌い終え、アウトロへと入ると共に、9人は後ろを振り返りメインステージの階段を上っていく。その演出は新たな場所へと翼を広げて旅立っていく物語の9人を想起させ、否が応でも深い“意味“をわれわれに感じさせる。

そして、フェードアウトしていくメロディと共に9人はステージを後にする。そこには一切の言葉を介さない。いや、言葉など必要ないほどにそこには万感の想いが満ち溢れていた。最早、ここで何か一言でも言葉を発するだけで全てが崩れてしまうほどに完璧な構成だったと言っていい。

そこにあったのは、「スクールアイドル」である姿しか映さないラブライブ!の物語そのもの再現であり、その後一切の彼女たちのシーンを必要とせず、物語を終えた彼女たちの意志と輝きは未来のスクールアイドルへと受け継がれていく。

だがしかし、彼女たちの歩みも、スクールアイドルの未来も、引いては返す波のように絶えることなく続いていく。この曲のアウトロには、そんな意味すら感じ取れる。

この法悦の時を経て強く刺激された私の瞳の奥の涙腺ダムは激しく決壊し、心臓の端から端までを席巻するほどに肥大化した感情という感情は留まることなく成長を続け、気付いた時には既に行き場を失ってしまっていた。

 

そして、そんな行き場の無い巨大な感情はライブ後からじりじりと、だが着実に言い知れぬほどの喪失感を生み出した。その喪失感の正体について私は数日の間考え込んだが、それは楽しみしていたライブが終わったことへの単純な虚無感ではなく、間違いなく5thの持つ「意味」から誘発したものだった。

 

まず、ずっと引っかかっていたのは最後のMCだ。皆が皆、エモーショナルと言えば良いのか、何とも言い難い切なげな雰囲気を隠さなかった。

 

中でもそれが顕著だった逢田さんのMCを振り返ってみる。

 

「この時間が本当に楽しくて終わらなければいいなぁって思っちゃうけど、私たちは前を向かなければいけないしどんどん先へ進んでいかなければならない」

「もしかしたら皆と会えない日が続くことがあるかもしれないけど」

「またこの9人でライブできる日を夢見て頑張っていきたいと思います!」

 

いや、ライブツアーも予定されてるのに??どういうこと??と一瞬戸惑ってしまった。でも、たしかに今回のライブでは恒例のお知らせの時間もなく、次のライブも発表されなかった(ラブライブ!9周年発表会で全てを出し尽くしてしまったというのはあるが)。そしてライブツアーは2020年。おそらく丸一年以上の間隔が開く。これまでのペースから考えると、たしかにかなり長い。

 

それだけではない。今回の5thは、Aqoursにとって、一つの区切りとなる大事なライブだった。これまでAqoursが日進月歩の勢いで走り続け、それを追い続けることでずっと忘れていたが、劇場版で3年生が卒業し、事実上Aqoursの物語は終わったのだ。勿論、6人のAqoursはこれからも活動していくのだろうが、われわれにそれを観測する術はもう無い。

例えるなら、μ’sのファイナルライブだ。あの時と違って現実世界のAqoursは活動を続けるからと楽観視していたが、ファイナルが含有していた意味はそれだけじゃなく、今まで二人三脚で歩んできたキャラクターとキャストたちとの、決別の儀でもあった。「ずっと一緒」という表現を使っても、この先演じることが少なくなることは明白だ。それは、なんて寂しいことなのだろう。それをわかっていなかった。そんな軽率な気保養のような感覚でライブに望んだからこそ、私は大きな感情に打ちのめされたのだ。

 

劇中において、9人であることに拘り続けて驚くほど潔くグループを終わりにしたμ’sとは対照的に、彼女たちは「6人でもAqoursを続ける」という選択をした。

アニメや劇場版で千歌が「Aqoursは何人と決まっているわけではない」と言ったように、Aqoursは変化を受け入れて進むグループだ。だが、それに対して現実側のAqoursは違う。リーダーの伊波さんはこれまで何度も「Aqoursはこの9人じゃなきゃAqoursじゃない」と述べている。勿論それはその通りだろう。今更物語の文脈に沿って三年生のキャストを卒業させたところでそんなことは誰一人として望んでいない茶番でしかない。

詰まる所、Aqoursの「6人でも続けていく」という作中の答えと「この9人じゃなきゃいけない」という現実側は、皮肉にも決してシンクロすることのない二律背反の関係でしかないのだ。だからこそAqoursをこの先待ち受けるのは、依拠すべき物語も、再現すべきシンクロも無い未知の世界だ。自分たちで運命を切り拓くほかない、スリリング・ワンウェイだ。主旋律を失った楽曲のように、大切な何かを置いて進まなければいけない道のりなのだ。

 

そしてライブが終わってから日を待たずして、高槻かなこさんがメインボーカルを務める新ユニットの結成、斉藤朱夏さんのソロデビューが発表された。同じく逢田さんはソロデビューを果たしたばかりで、伊波さんは夢だったミュージカルの公演を控えている。キャストの9人もまた、新たな輝きへと手を伸ばし、挑戦を始めている。

 

Aqoursはおそらく、今までのように頻繁に活動することはこれから少なくなっていくのだろう。9人全員が集まることもきっと難しくなってくるはずだ。ワンマンライブも、1年に1回、あるいはそれ以下のペースになるのかもしれない。だが、次に集まるときには、それぞれがそれぞれの場所で経験を積み、一回りも二回りも成長した9人の姿が見られるのだろう。少なくともAqoursがそういう時期に入ったのはおそらく間違いではない。それは頂上戦争後の麦わらの一味とも、活動休止中のLUNA SEAとも例えられる。

 

それを踏まえてもう一度「Next SPARKLING!!」の歌詞を振り返ってみる。

 

止まらない 止まらない 熱い鼓動が

君と僕とは これからも つながってるんだよ

止まらない 止まらない 熱くなって

あたらしい輝きへと手を伸ばそう

 

それぞれ出した結論は違えど、「新しい輝きへと手を伸ばす」ことで物語の文脈とも合致してシンクロを達成していたことにここでわれわれはようやく気付かされる。

μ’sの劇場版での、最後の9人の閉塞的な空間で行われたステージは、μ’sとその物語の明確な“終わり”を我々に感じさせた。

対してAqoursの劇場版の最後のステージは、むしろ新たな幕開けを示す“始まり”の意と捉えることが出来る。変化しながら前に進むことへの肯定と決意。仲間が新たな場所へと旅立つことへの、祝福と受容。作中の彼女たちへの、そして一つの区切りを迎えたキャストへの暖かな声援は、感情に色を付けてそれを顕示するように、一歩を踏み出そうとする彼女たちの背中を押すという後付けの意味を内包して9色の虹を象ったのだと、今だからそう思えてしまうのだ。

 

そしてさらにもう一つ、小宮有紗さんのMCについての所感を綴らせていただきたい。

 

 

「終わりがある」ということ -ハイデガー存在論

 

「アイドルは永遠じゃないからこそみんなが追いかけたくなったりするんですけど、9人のAqoursは永遠であってほしいなと思いました。」

 

このコメントを聞いてから、私は「永遠」という言葉が随分と心の何処かに引っかかり、しばらくこの言葉について考え込んでしまった。

 

アイドルは永遠に居続けることはできない。グループからの卒業であったり、ときには脱退や解散の場合だってある。そうじゃなくても年を重ねれば必ずアイドルではなくなる瞬間がやってくる。アイドルの有限性は目に見えて顕著だ。

 

「終わりがあるから美しい」という言葉がある。どんなに綺麗に咲いた花でもいつかは枯れゆく日が来るように、生がある限りそこには必ず終わりが訪れる。『平家物語』では、「盛者必衰」という言葉を用いて、どんなに栄えたものでもいつかは必ず滅びるという仏教的な無常観を説いた。だが、だからこそ、短い生を全うしようとする姿に心惹かれるのが人の性というものである。

花が美しいのは、枯れるまでの間に一生懸命咲き誇るからでもある。人もまた花と同じく、いつまでも若く美しくいることはできないが、限られた時間を精一杯生きるからこそ花のごとく美しいのだ。

青春に終わりがあるように、限られた時間の中で一生懸命輝くからこそ、アイドルは応援したくなるのだろう。

 

そしてその限られた時間の中で輝くためにはどう生きればよいのか、それを説いたのが20世紀最大の哲学者、マルティン・ハイデガーである。

 

ハイデガーは著書『存在と時間』の中で、人間の存在を「現存在」と名付け、自らを「死への存在」と認識することの有意性を説いた。

彼はダス・マン(日常に埋没し、ただ漫然と寝食を繰り返すだけの存在)の生き方を否定し、自らを「死への存在」と自覚し自身の生き方を吟味することによって、時間の有限性を認識し、限られた時間を精一杯生きることへの決意が出来ると考えた。

同時に、死を意識することで今この瞬間を意識するようになることを「本来的時間性」と名付け、死を自らの人生を全うするためのものとして肯定的に捉えたのである。

 

先日観劇した舞台「銀河鉄道999」は正にそれに思い当たる節があった。

永遠の命を手にするために機械の体を求める旅の途中で、主人公の鉄郎は永遠の命にかまけて無為に生きる人々の空虚さを目の当たりにすることで「限りある命」の尊さに気付き、時間が限られていることで生きている意味が生まれることを知った。そうして鉄郎は、限りある命を燃やすために戦ったのだ。

 

前述したμ’sの劇場版も根本は同じだ。限られた時間の中で「終わり」を自覚するからこそ、今という時間を精一杯生きることが出来る。そしてそこには、アイドルの輝きの本質が存在するのだ。

 

小宮さんはそういったアイドルの有限性が持つ儚さを理解し前置きとして述べた上で、永遠という言葉を使った。「9人のAqoursは永遠であってほしい」という願いは、ここまでの話の流れからすると、矛盾した言葉でもある。なぜならアイドルにも人間の生にすらも、「永遠」は存在しないからだ。だからこそ、絶対に叶わぬ願いは切なさを帯びる。余命幾許も無い子どもが将来の夢を語るような、胸が締め付けられるほどに遣り切れない気持ちに追われてしまう。そして、そこにいた誰もが同じ想いを共有しているからこそ、それはより悲痛に心に響くのだ。しかしそれでも、いつか来る「終わり」に向けてこれからの”今”をも精一杯生きると誓った彼女の強さに、やはり胸を打たれるのであった。

 

今という時間を大切にし、日々を謳歌するためには、死=終わりが必ず来るということを念頭に置いて生きる必要がある。

今推しているアイドルも、明日にはアイドルではなくなっているかもしれない。

 

Memento Mori (いつか必ず来る死を忘れるな)

 

最もこの精神を忘れぬよう肝に銘じておくべきなのは、実はオタクの側なのかもしれない。

ラブライブ!サンシャインはなぜ面白いのか?:古典ハリウッドと13フェイズ構造

  二日間にかけて行われた東京ドーム公演も無事成功させ、紅白歌合戦、そしてラブライブシリーズ初のアジアツアーも決定し、かつてのμ’sに迫る勢いを見せているスクールアイドルグループ・Aqours。雑誌連載からゲームアプリ、そしてキャスト声優による音楽活動と、オールメディア展開で多岐に渡る活躍を見せる彼女らですが、その人気の火付け役であり全ての土台となったのはやはり、TⅤアニメの存在でしょう。

先代・μ’sの活躍を描いた前作、いわゆる「無印版」ラブライブ!は、TⅤアニメで絶大な人気を得たのちも様々な活動を重ね、ビッグ・コンテンツにまで成り上がりました。その後釜として結成されたAqours、そしてラブライブ!サンシャインは正にその「前作の成功」からの重圧を背負ってのスタートでした。そんな中始まったTⅤアニメ一期、そして続編である2期を含めた全26話にフィーチャーして今回のお話を進めていきます。

 

 

 はじめに

結論から言うと、僕はラブライブサンシャインのアニメは、とても面白いと思った。

どうしても前作と比べてしまったのもあり、一期で視聴を辞めてしまったため二期まで全て見終わったのはアニメ放送終了から三か月後でしたが、正直それまでの自分の判断を後悔するほどの魅力が詰まった作品だと思います。というわけで、今回は僕がサンシャインを面白いと思ったワケをその脚本構造から順を追って説明していきます。

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ラブライブ!は紛れもなく成長物語です。9人の少女が様々な困難を乗り越え、ラブライブで優勝するまでの軌跡の物語。ありがちなマンガの展開で言えば、弱小野球部が人数を集めて甲子園で優勝するのをイメージしてもらうとわかりやすいでしょう。そう、ラブライブはアイドルアニメというよりは、どちらかというとスポ根に分類されるはずです。「努力すれば報われる」という概念が失われた現代では、「友情・努力・勝利」の典型的な王道物語は敬遠されやすいと言えます。特にアニメのような娯楽作品では、物語に明確な変化の無い日常もの、努力をせずとも優れた能力が手に入る異世界もの、無条件で女の子が主人公を好きになるハーレムものが主流の時代になりました。そんな時代相からは逆行するように「変化」と「成長」を描き切ったのがラブライブシリーズです。特にサンシャインのアニメは、全編を通していわゆる古典的ハリウッド映画におけるいくつかの約束事を守って作られた、ある意味クラシック・スタイルの物語なのです。

古典的ハリウッドに倣う脚本術

古典的ハリウッド映画は、20世紀初頭から半ばにかけて形成された、最も標準的な物語作品の形式です。そのような「基本」の映画には、下記のようないくつかの約束事が存在します。

・物語の軸は「登場人物の心理」。原則、中心的登場人物は立体的(複雑で多元的、予測不可能な行動を見せる)であり、脇役、端役は平面的(わずかな特性しか付与されず、行動が予測しやすい)な人物である。

・主人公は自身の決断がその後の結果へと結びつく因果律の担い手。非個人的な原因や偶然が物語を進めることは稀。 

・【対立】【葛藤】【変化】による三幕構成。

①到達すべき目標、回復すべき欠損が示される 

②それらの目標に向けた行動の中で、試練を受ける過程

③目標が達成される

 

中でもこの三幕構成は、物語に起承転結をもたらし、主人公が葛藤と出会い成長していく過程を視聴者に納得させるための大切な要素です。そして今回はそれを更に細分化した、脚本家の沼田やすひろ氏による「13フェイズ構造」を紹介していきます。

Amazon.co.jp: 沼田やすひろ:作品一覧、著者略歴

 

13フェイズ構造とは?

【第一幕】対立

  1.日常

  2.事件

  3.決意

【第二幕】葛藤

   4.苦境

   5.助け

   6.成長・工夫

   7.転換

   8.試練

   9.破滅

  10.契機

【第三幕】変化 

  11.対決

  12.排除

  13.満足

上記が基本的なプロットに必要な13フェイズとなります。では、今度はラブライブサンシャインを例に取って一つずつ詳しく説明していきます。

第1フェイズ【日常】

作品の冒頭であり、主人公の日常生活です。この中で主人公の抱えている「問題」が描かれます。この問題の解決こそが、作品のテーマとなります。

サンシャインの主人公、千歌の抱える問題は「自分が普通である」こと、それ故に「輝きたい」という願望・目標がここでは示されます。

第2フェイズ【事件】

 何らかの出会いや、異変が起きることによって主人公がそれまでの日常から引き離されます。

サンシャインでは、一話のアキバでのスクールアイドルとの出会い、あるいは作曲のできる少女・梨子の転校(アイドル活動が本格スタートする要因)がこれに当たります。

第3フェイズ【決意】

 主人公は第2フェイズで対面した特異な世界や状況に飛び込む決意をします。ここでは主人公の確固たる決意を描く必要があります。

サンシャインでは、3話で講堂を満員にした千歌がダイヤに対して「決意」を表明するシーンがあります。それにしてもこの時のダイヤのセリフ、

これは今までのスクールアイドルの努力と、町の人たちの善意があっての成功ですわ。

勘違いしないように! 

これ、めちゃくちゃメタ的で好き。μ’sの成功が無ければAqoursの成功も当然なかったわけですから。観客が0から始まったμ’sとの対比もまた面白いです。

第4フェイズ【苦境】

「決意」をした主人公が行動を始めます。そしてここからが主人公が「葛藤」を通して変化していく第二幕に入ります。ここで「苦しみ」があると、主人公の「変化」には効果的です。

サンシャインでは、6話で浦の星の廃校の知らせが舞い込みます。その受け取り方は様々でしたが、「廃校を阻止する」という新たな目標に向けてメンバーは走り出します。

第5フェイズ【助け】

苦境に陥った主人公へ助けが現れます。それはキャラクターであったり、小道具であったり形は様々です。この助けによって、第6フェイズで主人公が成長を遂げたり、苦境を乗り越えるための工夫が生まれます。

サンシャインでは、同じく6話で学校の良さを伝えるPVを作る際、内浦の人々の協力を得て「夢で夜空を照らしたい」の楽曲PVを完成させます。

第6フェイズ【成長・工夫】

ここでは、主人公が苦境を脱するための成長・工夫をする姿が描かれます。

サンシャインでは、7話でPVの再生回数が5万回を超え、東京のイベントにAqoursが招待されます。ここで「このまま行けばラブライブに出れるかも!」と期待するシーンこそ、この先の転換への大きなフラグとなります。

第7フェイズ【転換】

 このフェイズで物語は、破滅へと転換していきます。多くの作品では、第6フェイズでの成長を祝って喜ぶ姿が、今後の展開と対比させるように描かれます。直後に待ち構える絶望との落差が大きければ大きいほど、面白い展開になってきます。

サンシャインでは、東京のイベントで今まで一番のパフォーマンスをしたにも関わらず、周りのグループに圧倒され、8話でAqoursは投票数0の最下位となりました。このときの悔しさこそが「0を1にする」という新たな決意を生み、千歌たちは更なる一歩を踏み出します。

第8フェイズ【試練】

ここから主人公の本当の成長が始まります。今度は主人公が助けなしで試練へと向かっていきます。そこでもがき、苦悩し、葛藤する主人公の姿が視聴者に主人公の変化を感じさせます。

サンシャインでは、2期3話の大雨による学校説明会延期、6話のミラクルウェーブ完成のための大技挑戦など、いくつかの試練が用意されています。この【転換】から【破滅】までの間では、13フェイズの重ねがけによる二重構造となっていますが、重ねがけについてはのちに説明します。

 第9フェイズ【破滅】

 主人公の試練は、とうとう自分の力の及ばない破滅を迎えます。ここを乗り越えることによってはじめて主人公はその成長を認められるのです。この落差が大きければ大きいほど、面白いドラマとなっていきます。

サンシャインでは、二期7話の廃校決定こそが正にこれに当たるでしょう。一時Aqoursラブライブ出場辞退かという所まで追い詰められます。学校こそが「輝く」ための場所だと考えていた千歌にとって、再起不可能とも言えるショッキングな出来事でした。

第10フェイズ【契機】

破滅の中から、主人公は「変化」のためのきっかけをつかみます。この契機の状況の中で、主人公は究極の選択をするのです。この選択が、のちの展開を左右する因果律となります。

サンシャインでは、8話での廃校決定を経て「学校を救う」という大きな目標を失ったAqoursが、「ラブライブで優勝して学校の名を刻む」という新たな目標へと進む決断をします。その瞬間に、白い羽根(μ’sの輝きの象徴)が青い羽根(Aqoursの輝きの象徴)へと姿を変えることからも、ここが今後の展開への大事な契機となるシーンであるとわかります。そしてこれを提案したのがなんとモブキャラである同級生たちというのが、ラブライブが「みんなで叶える物語」などという所以なのかもしれません。

第11フェイズ【対決】

いよいよ「変化」を遂げた主人公が敵との対決を迎えます。あるいは、自分の内面との対峙の場合もあります。敵が強ければ強いほど、面白くなってきます。

サンシャインでは、ラブライブの決勝に向かっていく2期の12話でしょう。メンバー一人一人に「ラブライブ、勝ちたい?」と聞く千歌、そしてそれぞれ一人になって自分を再び見つめ直す決勝前のあのシーンが堪らなく好き。 今まで背負ってきた「学校のために勝ちたい」という一種の重荷が解かれ、それぞれが「自分(Aqours)のために勝ちたい」と心から思えているのが、μ’s(の伝説)からの決別を表したいいシーンだと思います。一期12話で部屋のポスターを剥がしてもなお、無意識に追っていた白い羽根は、もう鮮やかな青へと変わったのです。

第12フェイズ【排除】

主人公は、困難の中で敵を排除しなければなりません。主人公が成長してきた過程の全ての工夫を使って勝利します。

サンシャインでは、ラブライブ優勝がそれに当たります。しかし、決勝ではAqours以外のグループ(敵)が描かれることはありませんでした。それは正しく、作品のテーマが主人公である千歌自身の問題にあり、敵は最初から千歌の内面にあったからでしょう。ラブライブで優勝することによってAqoursは初めて、ずっと背負ってきた「学校」という重圧から離れられたと言えます。もっとも、千歌がアイドルを始めたきっかけはμ’sのように廃校阻止ではなく、「輝きたい」という根源的な願いであったのに、マクガフィン(置き換え可能な物語の動機付け)であるはずの廃校問題に最後まで縛られたのが、一期で廃校を阻止したμ’sとの対比を思い起こさせます。そもそも「廃校阻止」がテーマであり目標であったμ’sが、一期のよりにもよって「破滅」の段階で廃校阻止が決まったところも、何とも言い難いアイロニーを感じさせます。「ラブライブ優勝」と「廃校阻止」には実は直接的な因果関係は無いのに、時を経て語り継がれたその伝説を盲信して「優勝して学校を救う」ことを目指したAqoursの姿こそ、ミスリードの誘因だったのかもしれません。

第13フェイズ【満足】

主人公は、第12フェイズの排除のより最大の喜びへと到達します。ここで解決すべき問題はすべて解決される必要があります。

サンシャインでは、千歌はラブライブで優勝したものの決勝の舞台で見つけたはずの輝きの正体に気づけません。なぜなら、自分の輝くための場所、守るべき「学校」はもう無いからです。しかし海岸でのシーンで千歌は、飛ばしては何度も落ちてしまう紙飛行機を諦めずに飛ばします。この紙飛行機こそが、千歌の「諦めない心」のメタファーとなります。小さい頃から、何でも諦めたフリをして、何にも夢中になれなかった千歌がやっと見つけた輝きへと、風に乗った紙飛行機が彼女を導きます。そこは奇しくも、これから失くなってしまう学校でした。そこでサプライズのように邂逅したAqoursのメンバーと共に再び歌うことにより、千歌は自身が探し続けた輝きの答えへと辿り着くのです。

私が探していた輝き、私たちの輝き。

あがいてあがいてあがきまくって、やっとわかった。

最初からあったんだ。

初めて見たあの時から、何もかも、一歩一歩。

私たちの過ごした時間の全てが、それが輝きだったんだ!

探していた私たちの、輝きだったんだ!

 こうして千歌は答えへと辿り着き、第1フェイズで提示された問題が解決し物語は大団円を迎えました。このように、ラブライブサンシャインは脚本の基盤となる13フェイズ構造がきちんと成立しているのです。では、今度は13フェイズの「重ねがけ」について説明していきます。

 

物語に深みを与える!「重ねがけ」の技法

重ねがけとは、13フェイズ構造の中でさらに13フェイズ構造を重ね掛け合わせてドラマをさらに奥深くする技法です。主人公がより多くの試練や選択を重ねることにより視聴者にその成長を納得させる効果があり、強調したいフェイズ間に組み込まれ、物語の密度が高まります。

サンシャインでもこの重ねがけは導入されています。では、先程の第8フェイズ【試練】の部分から、さらに細かく見ていきましょう。

前項では省略しましたが、7話の東京でのイベント、三年生組の加入でAqoursは【転換】期へと突入したのち、8人でのラブライブ予備予選という【試練】を迎えます。ここでは主人公の千歌だけでなく、サブストーリーに当たる梨子や曜などの内面にあった問題もバランスよく解決していきます。そして万感の思いで迎えた地区予選ですが、一期はその結果が明かされることなく幕を閉じます。これこそが、サンシャインの一期の評判がいまひとつだった理由ではないでしょうか。「0から1へ」という目標が達成される描写こそあったものの、迎えた対決に対しての答えとなる「勝利」という結果が描かれなかったため、物語は不完全燃焼で終わったことになります。もっとも二期の制作が前提としてある分仕方はないのですが…。

 そして迎えた2期1話の冒頭で、地区予選でAqoursが敗退していたことがしれっと明かされます。決勝進出こそ逃しましたが既に次のラブライブの開催も決まっており、破滅というほどのインパクトは無かったものの、ここから更に事件や試練という二重構造が始まり、物語は成功や成長を重ねながら徐々に破滅へと向かっていきます。1話最初の、千歌が輝きへと手を伸ばし、地面が砕けて奈落へと落ちていく夢を見てベッドから落ちる一見コミカルなそのシーンが、その後の展開を暗示していたのかもしれません。 

第2フェイズ【事件】

2期で起こる最初の事件は「学校説明会の中止」、つまりは廃校の決定です。1話から非常に重い展開で始まるのがなんとも面白いです。また、「事件」でありながら自身の力が及ばない敗北を意味する「破滅」や、更なる目標設定のための「契機」であるとも言えます。ともかく一話ラストでの新たな【決意】へ向かうための布石となるフェイズです。

第3フェイズ【決意】

新章である2期1話のラストで、葛藤の末、千歌は「諦めない」で「最後まであがく」という決意をします。千歌だけでなく他のメンバーも同じ想いでグラウンドに集まったことが、Aqoursという人格、そして「奇跡」を起こす手がかりを示唆してくれています。軽はずみな気持ちで始まった1期から、今度は本当の意味で学校の命運を背負ってAqoursは舵を切るのです。

第4フェイズ【苦境】

新たな決意のもと、千歌とAqoursは更なる苦境の中で成長していきます。学校説明会とラブライブ予備予選に向けて同時に2つの曲作りに励むも、歌詞がなかなか思い浮かばず息詰まる千歌、違いが浮き彫りになり音楽性がまるで合わない一年生と三年生。しかし試行錯誤の末曲は完成し、9人の絆は更に深まります。そこにはAqoursの確かな「成長」が感じられます。

第5フェイズ【助け】

自力で入学希望者を増やすと宣言したため、パパからの「助け」は絶対に使えないとした鞠莉。そのためAqoursは、2期では大きな助けを得ないで試練を超えていかなければなりません。学校説明会が延期されたことにより、予備予選と重なってしまう非常事態。一度は二手に分かれてのライブを画策するも、結局Aqoursは9人で予選に出場した後に走って会場から学校まで行って説明会に間に合わせるという選択をします。余談ですが、サンシャインは物語の舞台である沼津や内浦を正確に再現しているため、学校への交通の便の悪さまでもを体験することにより、リアリティが増してより物語を楽しむことができるという効果が聖地巡礼にはあるので、一度舞台を探訪してみることをおすすめします。

このシーンの中では近道をするためのみかん畑であったり、Aqoursが乗り込んだみかんを収穫する機械のような小道具が「助け」に当たります。助けを得たAqoursは2つのライブを無事成功させ、更なる成長を遂げていきます。

第6フェイズ【成長・工夫】

予備予選を通過し地区予選決勝へと駒を進めたAqours。地区予選では会場とネットによる投票で勝敗が決まるため、生徒数が少ないというハンデを抱えるAqoursは会場を味方にするほどの圧倒的なパフォーマンスが求められます。そこで、地区予選を勝ち抜くためかつて三年生が挫折したフォーメーション、Aqoursウェーブへと挑みます。センターの千歌にはサビ前のロンダート&バク転という大技が課せられます。自分が無理をさせたせいで再び誰かが傷つくことを懸念する果南の制止を振り切り、千歌は大技の完成を目指します。

第7フェイズ【転換】 

何度も挑戦するも、失敗を重ねる千歌。果南と約束した期限の夜、砂浜で曜や梨子、みんなから応援されながらも結果は失敗。「出来るパターンだろこれー!!」と嘆き、落ち込む千歌に曜と梨子が諭します。

千歌ちゃん、今こうしていられるのは誰のおかげ?

それは…学校のみんなでしょ、町の人たちに、曜ちゃん、梨子ちゃん、それに…。

一番大切な人を忘れてませんか?

今のAqoursがあるのは誰のおかげ?最初に始めようって言ったのは誰?

(中略)

他の誰でもAqoursは作れなかった。千歌ちゃんがいたから、今があるんだよ。そのことは忘れないで。

自分のことを普通だって思ってる人が諦めずに挑み続ける。それが出来るってすごいことよ!

そんな千歌ちゃんだからみんな頑張ろうって思える。Aqoursをやってみようって思えたんだよ!

だから恩返しなんて思わないで。みんなワクワクしてるんだよ!千歌ちゃんと一緒に、自分たちだけの輝きを見つけるのを!

 詰まるところ、「出来るパターン」を作り上げたはずのの千歌に足りなかったのは、支えてくれた周りの人への恩返しという気持ちが先行するあまり見失っていた、自分自身の持つ力を信じる気持ち、「自信」でした。応援や期待、そして自信を手にした千歌は無事本番も成功させ、Aqoursは本当の意味で完成を迎えました。こうして地区予選突破、ラブライブ本戦出場を果たしたAqours。しかし、ここでAqoursは再び試練を迎えることとなるのです。

第8フェイズ【試練】

ラブライブ出場も決まり、鞠莉の父親との約束の日を迎えたAqours。しかし、伸び続ける再生回数とは裏腹に入学希望者の数はほとんど変わりません。やれることは全てやったAqoursの9人が出来ることは、ただ待つことだけでした。

2期では「入学希望者100人」という明確なノルマが期限付きで課されますが、このように時間的な期限を設けることでスリルを高めるデッド・ラインの手法はラブライブにおいて実によく見られます。デッド・ラインは古典的ハリウッド映画の実に4分の3が含んでいると言われています。

こうして重ねがけを経て物語は廃校決定という【破滅】、【契機】ののち最終決戦へと向かっていくのです。

 

高海千歌」「高坂穂乃果」の主人公像  

 

前項で、古典的ハリウッド映画の基盤となるのは主人公の「成長」であるとしました。成長と一重に行っても、そこには冒頭で示された「問題」を苦難の中で最終的に解決することに意味があります。その過程がサンシャインの物語は非常にわかりやすかったのです。主人公高海千歌は予測不可能な行動を見せる無鉄砲さを持つ一方、内に抱えるものは複雑であるという実に立体的な人物でした。対して、μ’sの高坂穂乃果という主人公は、天真爛漫で裏表の無い人物であり、「学校を救う」という目標のために一直線で走り抜けました。しかし無印版ラブライブでは、一話で示された目標は一期、それも「破滅」を迎える前(というか最中)の段階で達成されてしまったのです。これはなんとも皮肉ですね。「学校を救う」ことで「輝き」を手に入れられると信じ込んでいた千歌にとっては尚更です。そして二期では「ラブライブで優勝する」という新たな目標が設定されたため、無印版の一期と二期は物語として一続きでない別物と考えて良いでしょう。二期では、大きな挫折や失敗はなくどちらかというと順調な道のりが描かれ、メンバーの個々の問題を掘り下げるサブストーリーの比重が大きかったのも特徴です。それ故に「一期のほうが青春群像劇って感じがして面白かった」「2期はファンを楽しませるためのキャラクターアニメだ」などという意見もよく耳にします。そのほうが好き、という人もいるのでその辺は本当に好みによると思います。無印版ラブライブは、特に2期において純粋に成長物語と呼ぶには少し弱い部分があったのかもしれません。思い返せばμ’sの「敗け」は講堂でのファーストライブの観客0や体調不良によるラブライブ出場辞退などのグループ内での出来事のみであり、AーRISEにもポテンシャルを評価されるほどの実力が備わっているイメージがあります。野球漫画で例えるなら「ドカベン」です。対してAqoursは、μ’sに憧れて始まったこともあり、廃校問題など最後まで悩まされながら泥臭くもがいていたイメージです。野球漫画で例えるなら「キャプテン」です(なぜ野球漫画でたとえるのか)。このことで、より大きい困難・葛藤が組み込まれたほうがより主人公の成長を視聴者に納得させることが出来るという物語の基本構造を実感できます。 

ラブライブメタフィクション

 ラブライブには、現実と虚構が交差して物語が進んでいくという性質があります。そう、ここで言う「物語」とはアニメ本編に限らず、キャストやスタッフ、そしてファンの歩んできた道のり、ラブライブというコンテンツ自体を含む全てに当てはまります。そもそも「みんなで叶える物語」というテーマを初期から掲げ続けているラブライブは、ファンがAKB48のように楽曲のセンターを決めるための投票を行ったり、ユニットやグループ名を募集したりと虚像であるキャラクターがあたかも現実にいるかのように思い込む、そんなファン参加型の雑誌企画から始まりました。そして次第にその声優を務めるキャストによるアニメ映像とシンクロしたライブを初めとした様々な活動が開始され、「現実」をより「虚構」へと近づけるという動きが高まっていったのです。まったくの無名、ファンも少ない状態で始まった小さなコンテンツがアニメ化やゲームアプリの流行を経て、劇場版の大ヒットや紅白出場や東京ドーム公演を成し遂げるまでに人気を集め、そして惜しまれながら終わりを迎え、次の世代へと託されるー。そのような「現実」で起こった一種のドラマとも言える過程の殆どが、アニメという「虚構」を通して、その物語がメタ的に再現されているのがもう最高に、エモいです(語彙力の限界)。

特に印象的なのが劇場版です。海外でライブをやることになり「ずいぶん遠くまで来ちゃったね」と心境を吐露する花陽や、帰って来るやいなや自分たちも手に負えないほど大勢のファンに囲まれ「これは夢やドッキリなんじゃないか」と疑う穂乃果、そしてあまりの人気が災いし、今後のスクールアイドルの発展のために「μ’sは解散する」という決断の撤回を求められる9人。まさに二期終了後からファンが急増し、紅白出場など社会現象にまで膨れ上がったコンテンツ、関わってきた全ての人に起こった出来事の全てが、アニメーションにフィードバックされたのです。そして最終的に「μ’sを続けるかどうか」、その問題への結論を出したのはアニメの中の9人だったのです。それに倣うようにキャストによるμ’sとしての活動も終わりを迎えたのです。虚構を現実に、現実を虚構に、そして最後は虚構を再び現実に…。いかにアニメが虚構と言えども、二つの世界はラブライブという物語の中に混在しているのです。

そして本題のサンシャインでは、「μ’sに憧れる少女たち」が描かれます。そこでは先代の築いてきたものの恩恵を実感する1期3話の講堂ライブ、「μ’sの背中を追うのではなく自分たちの輝きを見つける」ことを決断する1期12話など、メタ要素は引き続き色濃く反映されています。「キセキヒカル」のようなAqoursのメンバーだけでなくキャストの9人の歩んできた道を想起させる楽曲や「Thank you, FRIENDS!!」のように「Aqoursからラブライバー」へ、あるいは「キャストからキャラクター」へ送る内容の楽曲が制作されたり、楽曲を通しても様々な表現が為されているのも、メタ作品として本作を楽しめるポイントです。

❝虚構❞を超えて~4th東京ドームライブでの「想いよひとつになれ」~

さて、そんな中でもかなり特殊なタイプの楽曲となった想いよひとつになれに焦点を絞ってお話していきたいと思います。もともとアニメでは東京でピアノのコンクールに出場した梨子を除く8人で披露された楽曲です。1stライブではその再現として、キャストである逢田梨香子さんが実際にピアノに挑戦。二日目では一度失敗してしまい、曲が止まってしまうハプニングがあったもののメンバーの励ましやファンの声援の中で成功させた二度目の演奏はAqoursのライブ活動きっての名シーンです。アニメ通りには行かなかったものの、梨子ちゃんがピアノを弾くという演出は、あくまで「現実」側がアニメという「虚構」に寄せるための演出だったのです。

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 しかしその1st以来の披露となった4thライブでは、予想の斜め上を行く出来事が起こりました。なんと、梨子ちゃんを含む9人での「想いよひとつになれ」が披露されたのです。これは、アニメ本編でやろうとしてどうしても「できなかったこと」です。それをキャストによるライブで「本来の形」である想いよひとつになれをやること、これには筆舌に尽くしがたいエモさがあるのです。「現実」による「虚構」の再現を基盤にしていたキャストのライブ活動に、初めて「現実」が「虚構」という枠組みを超えて新たな物語を紡いだ、ラブライブ史に残る歴史的瞬間を迎えたというわけです。東京ドーム公演は正に集大成というべき素晴らしいライブでした。ありがとうAqours!!!!!!

 

最後に~劇場版に向けて~

最後に、ついに公開が目前に迫った『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』に向けて想うことを書き綴ってこの記事を終わりたいと思います。μ’sの劇場版を思い返すと、やはり最大の核となった部分は、「μ’sを続けるのかどうか」でした。三年生の卒業という同じ状況に置かれているAqoursもまた、同じ議論を迎えることは間違いないはずです。しかし予告では「三年生が卒業してもAqoursを続ける」と早々に宣言されていたり、「どんな形であってもAqoursは続いていく」というキャストの意味深な発言があったり、正直どう展開していくのか、最終的に9人がどんな答えを出すのか、全く予想できないし、楽しみで仕方がない。たとえそれがどんな結末に向かおうと、9人が納得して出した答えならファンにとってこれ以上の幸せは無いでしょう。終わりは新たな始まり、その言葉の本当の意味をついに知ることになるー。本当に楽しみで仕方が無いです。2019年1月4日がAqours、そしてラブライブに関わった全ての人にとって最高の日になりますように。

 

 

 

 

アニメは現実逃避か?~Aqours 3rd Love Live! Tourを終えて~

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  「矢吹くんは・・・・さみしくないの?同じ年頃の青年が海に山に恋人と連れ立って青春を謳歌しているというのに」 

「・・・」

「矢吹くんときたら、来る日も来る日も薄暗い部屋に閉じこもってアニメを観たり、スクフェスをしたり、声優の動画を再生したり、振り付けを覚えたり、サントラを聴き込んだり・・・たまに明るいところに出るかと思えば、そこはオタクの汗のにおいがただよう、眩しいほどの照明に照らされたライブ会場という檻の中・・・。オタクの声援が立ち込めた会場でおっさんの集団に紛れ、銀テープを取ろうとするオタクに押されながら天龍源一郎平泉成のようにガラガラ声になって、コールするだけの生活・・・しかも身体はまだどんどん大きく伸びようとしているのに食費を抑えるために食べたいものも食べず、飲みたいものも飲まず・・・惨めだわ、悲惨だわ、青春と呼ぶにはあまりにも暗すぎるわ!」

「ちょっと言葉が足らなかったかも知れないな・・・。オレ、負い目や義理だけでオタクやってるわけじゃないぜ。推しを好きだからやってきたんだ。紀ちゃんの言う青春を謳歌するってこととちょっと違うかも知れないが、燃えているような充実感は今まで何度も味わってきたよ。オタクだらけの会場の中でな。そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない。ほんの瞬間にせよ、眩しいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そして、あとには真っ白な灰だけが残る・・・。燃えかすなんて残りやしない、真っ白な灰だけだ。そんな充実感はオタクをやる前にはなかったよ。わかるかい、紀ちゃん。負い目や義理だけでオタクをやってるわけじゃない。推しが好きなんだ。死に物狂いで噛み合いっこする充実感がわりとオレ、好きなんだ。」

 

…はい。ということでね、皆さん、ボンジュルビィ。 

今日も今日とて、ラブライブ!サンシャインのお話をしていきたいと思います。

6月9日のメットライフドームの埼玉公演から始まり、大阪、そして先週の福岡と、ついにAqours 3rd LoveLive! Tour ~WONDERFUL STORIES~、全公演大成功で終了しました!

 いや~すばらしかった。ほんとに。もう楽しすぎて、参加できた4日間すべて完全燃焼でした。前回の2ndからさらに進化したAqoursの姿が見られましたね。今回はテレビアニメ2期放送後初のワンマンライブということで、セトリも2期曲を中心に、幕間では2期本編のダイジェスト映像をスクリーンで流しながら、ライブシーンになるとステージの照明がついて…というのが基本の演出でした。

以下曲の解説です↓

 

埼玉初日はシネマサンシャイン池袋のライブビューイング。飛行機の遅延で遅れてやって来た誰かさんのおかげで開演は間に合わずも、2曲を終えた後のMC時に無事到着。劇場の扉を開ける前から溢れんばかりの声援が聞こえてきました。そして、個人的にめちゃくちゃ楽しみにしていた「“MY LIST” to you!」。めちゃくちゃかわいかった。曲自体もともとかわいい曲だったけど、振り付けがもう、ドンピシャすぎる。振付師の方に100点をあげたい。「ぱぱんぱん」のとこの一年生組、特にふりりんが良すぎてもう。そして二番のあんちゃんの「甘えてみる~・・・ぅ?」の脳トロ部分。予想以上の破壊力で、会場も「フゥ~↑↑↑↑」と大盛り上がりでした。

そして次の曲、何が来るかと思いきや、早くも2期3話挿入歌、「MY舞☆TONIGHT」。LⅤ会場も揺れんばかりの声援で包まれました。やっぱりツアー初日は、セトリのネタバレが無い分盛り上がりがすごい。。マイマイの衣装は残念ながら今回は用意されませんでしたが、μ‘sの輝夜・噫無情・AAみたいなノリで、今後未熟なんかと一緒に着物で披露はありそうですね。この曲も見どころいっぱいで、きんちゃんの必死のウインク、あいにゃのエアギター、「Dancing tonight!」のコールの掛け合い。楽しかった。。

 

2期のダイジェストを挟み、次の曲は個人的に、いや、おそらく全ラブライバーが最も注目していたであろう、第6話劇中歌「MIRACLE WAVE」。アニメ本編では、ラブライブ地区予選を迎えたAqoursが、圧倒的なパフォーマンスで観客の票を集めて勝ち抜くため、3年生が封印していたフォーメーション「AqoursWAVE 」に挑みます。かつてこの練習のために鞠莉が怪我するなど、非常に高難易度の振り付けとなってます。見せ場としては、サビ直前の、センター・千歌によるロンダート&バク転。アニメでは猛練習の末、ボロボロになりながらも諦めずに完成させました。では、この振り付けを声優・伊波杏樹さんにもやらせるのか?ということはラブライバーの間で半年もの間議論されて来ました。当然伊波さんは一端の声優であり体操やダンスの経験があるわけではない。無理にやろうとすれば大怪我にもつながりかねない。大技が見たい反面、やめておいた方がいいという声も多かった。という経緯で、果たしてあんちゃんは跳ぶのか!?というのが今回のライブの最大の見どころだったと言っていいだろう。

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6話の映像が流れ、自分が無理をさせたせいでまた誰かが傷つくことを恐れる果南の前で、初めて千歌がバク転を成功させるシーンでの観客の「おーー!!??」という声が響き渡る中、曲が始まった。会場は異常なまでの熱気に包まれた。

 

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結論を言うと、あんちゃんは跳んだ。AqoursWAVEは完成した。アニメではロンダートからバク転まで間髪入れずに跳んでいたため、ロンダートをした後にあんちゃんが動きを止めたときは観客も一瞬「やっぱりやらないのか」という考えが脳裏に浮かんだことだろう。あんちゃんごめん。だが、曲に合わせるためか、あえて勢いを止めてからのバク転という振り付けになっていた。その瞬間、それまで興奮しながらブレードを振り回していた観客も動きを止め、固唾を呑んで見守っていた。圧倒的なプレッシャーの中で、彼女はそれを成功させた!バク転成功後はもう一同大興奮で会場はかつてないほどのに大歓声に包まれていた。しかもこの曲、センター以外の8人がロンダート前にやるドルフィンっていう腕立てみたいな振りがあるんだけど、これがやってみたら意外と難しい。9人全員、相当練習して臨んだ曲だと思います。ほんとにバク転すんのかな~とか言ってた自分が恥ずかしい。2ndの最後のMCで、「次は絶対みんなをもっとびっくりさせてやるからなー!!」と宣言していたあんちゃん。見事に有言実行だった。どこの世界に、曲中でバク転する女性声優がいるというのか…。言っといてや、出来るんやったら。伊波半端ないって

そして、曲が終わった後のMC。あんちゃんとすわわの「千歌、AqoursWAVEを完成させてくれてありがとう!」のやり取りは果南と千歌そのものだった。ほんとにありがとう。いいもん見せてもらいましたわまじで。「どうだ!Aqoursすごいだろー!!」と叫ぶあんちゃんが最高にかっこよかった。うん、Aqoursすげーよ!!!!

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とはいえ、実はまだめちゃくちゃ序盤。ここで最高潮の盛り上がりを見せたかのように思われたライブは、さらに熱を高めていく。

 

ここからはソロ曲。一日目は千歌、花丸、善子、梨子の4曲が披露されました。それぞれ衣装も振り付けも演出もめちゃくちゃこだわっててすごかった!特に善子ソロでは、イントロが流れるやいなや玉座に座ったあいきゃんが登場。背中には白と黒の翼が。ダンスが得意のあいきゃんがどんな踊りをするのか楽しみにしてたんだけど、一番はまさかの座ったままダンス。中二チックなイスと衣装を纏うあいきゃんがヨハネそのもので圧巻でした。そして2番以降はキレッキレのダンスを披露。ここはたぶん、堕天使キャラを隠そうとしていた善子がAqoursに加入することで自分の気持ちを隠すことなく解放できたっていう表現なんだと勝手に解釈してます。しかもソロ曲はキャスト本人の要望が演出や衣装に色濃く反映されてるってラジオで明かされてて、ヨハネの翼は善子の白とヨハネの黒で、二つの人格の中で揺れる善子を表してるんだとか。おもしろいなあ。

そして幕間アニメを挟み全員ver.の「空も心も晴れるから」に続き「SKY JOURNEY」そして恋になりたいAQUARIUMを披露。恋アクのコールめっちゃ楽しかった!

そして再び2期のダイジェストが流れ、みんな大好き函館回の挿入歌「Awaken The Power」。アニメでは北海道のライバルユニット・Saint Snowの二人を加えて第9話で披露された、妹から姉へ、自らの成長と感謝の気持ちを伝えるために作られた楽曲。4月に行われた函館ユニットカーニバルで披露されると予想されていたものの披露されず、この3rdへと楽しみは持ち越しになっていた分、ミラクルウェーブに負けずとも劣らない盛り上がりを見せました。「Hi!Hi!Hi!」や「Fighting!fighting!」などコールも一緒に出来てめちゃくちゃ楽しかった。

Saint SnowのMCも終わり、アニメダイジェストも終盤、ラブライブ決勝へ。決勝前のこのシーン、個人的にめちゃくちゃ好きなんですよ。メンバーそれぞれが別々の場所に行って、一人の時間を作る…。聖地巡礼もとい、実際にその道を歩いて何を感じるかとか、どんな雰囲気の場所なのかとか、キャラクターの心情を風土から考察する、舞台探訪をするのに向いてると思います。ちなみに僕はぜんぶ行った(^O^)

そして個人的に一番大好きな曲、「WATER BLUE NEW WORLD」。もう、ほんとに尊い。唐突に語彙力を失うほどエモかった。なぜかわからないけど涙が止まらなかった。衣装も演出も好きなんだけど、やっぱ歌詞がグッとくる。諦めずに動き続けて、やっとここまで来た。でも、それぞれが新しい場所へ向かって旅立っていくことを知っている。だからこの時を楽しもうー。エモい!!!!!!なんだこれ、エモすぎるぞ!サビで上から羽がぶわっと舞ったときに鳥肌ぶわーっ(´;ω;`)てなった。まさに決勝にふさわしい曲だと思いました。

ここで、まさかの新規アニメ映像公開。12話終了直後と思われる、ラブライブ舞台裏のシーン。キャラクターの顔は映さず楽屋と衣装のみが映され、それぞれが感謝を伝えたり、互いの成長を讃え合う。このラブライブ特有の、全てをやり遂げたときの、祭りの後のような静寂と切なさ。BGMもめちゃくちゃピッタリ。埼玉のときはそうでもなかったけど、福岡の千秋楽では寂しさのせいかびっくりするくらい号泣してしまった。ちなみにこのシーンのBGMのタイトルはおそらく、「ありがとう、そしてサヨナラ」。エモい…。

からの青空Jumping Heart 」。ラブライブ優勝後のアンコール曲ということで、1stや2ndのときとはまた違う印象だったと思う。歌詞の「みんなとなら説明はできないけど大丈夫さ」の部分がAqoursらしくてすごく好き。

 

アンコールを挟んで「Landing  action Yeah!!」勇気はどこに?君の胸に!、そしてラストの「WONDERFUL STORIES」まで、なんと3曲続けてファンも一緒の大合唱。めちゃくちゃ楽しかった!

特に勇君では、

あんちゃん「夢が~」

会場「たくさーん」

あんちゃん「夢が~」

会場「たくさーん」

あんちゃん「消えなーい」

会場「夢が~!!」

と、完璧な掛け合いが!なんの打ち合わせもしてないのにさすがラブライバー、奇跡だよ!!1stの想ひとのりきゃこコールといい千葉ファンミでの会場全体紫色といい、こういうのでいいんだよ。。

 

そして今回のツアーはなんといってもMCがよかった…!

きんちゃんのセンター宣言やふりりんの8連ありがとうも然ることながら、やっぱり今回の記事の主題について書きます。

 

アニメは現実逃避か。

この議題、オタクなら誰もが一度は通る道だと思います。一般的にオタク=残念な人であり、現実に不満があるから虚構に走るのか、虚構に走るから現実がダメなのか。その因果関係は謎ではあるけど、少なくとも大体の人が前者の解釈を取るだろう。それが一般論である限りオタクへの偏見は消えないし、そもそもオタクのほとんどはそうである。(偏見)

では、アニメを見たりグッズを集めたり、娯楽へ進むのは単なる「逃げ」なのだろうか?問題はそこだ。ここで振り返っておきたいのが、アニメ一期10話の、梨子ちゃんとピアノコンクールの話だ。

得意だったピアノが突然弾けなくなり、逃げるように東京から引っ越してきた梨子ちゃん。そこで千歌によって半ば強引にスクールアイドルを始めることになり、次第に彼女にとってもAqoursが居場所となっていた。そんなとき訪れたピアノコンクール開催の知らせ。それは、奇しくもラブライブ予備予選と同じ日取りだった。当然メンバーに迷惑をかけないためにも予備予選出場を選ぼうとする梨子。しかし、千歌はそれを止め、ピアノコンクールに出るよう促すのだった。その所以は最初に梨子をスクールアイドルに誘ったときの言葉、「一緒にスクールアイドルを続けていく中で梨子ちゃんの中で何かが変わってまたピアノに前向きになってくれたら嬉しい」というものだった。千歌に背中を押されコンクールで演奏を無事成功した梨子は、苦しい思い出となっていたピアノと向き合うことでスランプを脱し、再びピアノを「好き」になることが出来たー。

というこの話が、実は今回のライブMCと重なる部分が多くて。あんちゃんの「みんなそれぞれ違う夢があると思うけど、私たちのライブが力になってほしい」という言葉だったり、きんちゃんの「日々いろんな大変なこととか辛いこともあるだろうけど、ライブでパワーもらって頑張って」という内容のお話だったり。つまり、アニメやライブが只の現実逃避じゃなくて、何かを頑張る原動力にすること、それがオタクの理想の形というか、本来あるべき「与える側」と「受け取る側」、ファンとアイドルだったりスターとの関係性なんだよね。時には悲しみから救われるかもしれないし、夢に向かって頑張る勇気をもらえるかもしれない。ラブライブ!はそういう前向きな内容の作品だから、くすぶってる気持ちも何かに打ち込みたい気持ちも全部受け止めてくれる場所に成り得るわけで。だから、よく〇〇にいくら注ぎ込んだとか、〇〇行くために学校休んだとか、そういうことを誇らしげに語ってマウント取ろうとするオタクがいるけど(中学くらいのときはそんな感じだった気がする)、やっぱりそうじゃなくて、オタクやるために何かを犠牲にすることは矜持じゃない。そうすべきではないから。それが正に一期の梨子ちゃんのピアノの話のメッセージで。現実と趣味と、どちらも否定できない自分自身ならば、何かを掴むことで何かをあきらめない!この精神を我々は忘れてはならないだろう。

 

とまぁ長くはなりましたが、これが3rdを通して思ったことでした。

Aqoursすげーんだぞ!!!!

それが伝わったなら満足であります。

あと二日目の現地できんちゃんに〇作ったの指してもらえたのがめちゃくちゃ嬉しかった…。やっぱり僕の最推しは高槻かなこさん。

それじゃ今日は、ここらでばいっ。